ART-SCHOOLとCRAZY VODKA TONICの類似と相違

綺麗にまとまっている訳でもないし、オチがある訳でもありません。

 

 

 

 

前フリ

以前、「CRAZY VODKA TONICが何だかART-SCHOOLみたいだ!」みたいなことを(歌詞において)書きました。

あれから歌詞カード見ながら熟考しました。

結果。

「あ、CRAZY VODKA TONICもART-SCHOOLも『触れる』って言葉が良く出てきてる」と気づきました。

触れるという言葉、というか。

触るとか繋ぐとか、いわゆる接触を表す言葉が。

 

ART-SCHOOLの「触れる」

幾つか歌詞を引用してみます。カッコの中は曲名です。

 

僕らきっと空で 体だけ繋いで

(クロエ)

 

あと10秒で 死体に変わる

そんな瞬間がもし来たら

その10秒で 君に触る

(あと10秒で)

 

TOUCH ME TASTE ME

(欲望)

 

触れるたびに 遠くなっていった

君の名前さえも 僕はきっと きっと

(Missing)

 

どうして 今 貴方に触れたくて

見えないから 身体を欲しがった

(スカーレット)

 

改めて見ると「触る」とか「繋ぐ」とか多いなあ。

何気に「食べる」も多かったよ。

適当にアルバム選んで歌詞カードぱらぱらってしただけでこうだから、本気でやったらもっと出てきそうですね。

(余談ですが、とある方のブログで歌詞のデータマイニング方法が掲載されていたので、今度時間がある時にUVERworldART-SCHOOLでやりたいと思ってます)

 

 CRAZY VODKA TONICの「触れる」

 

こちらもいくつか歌詞引用します。

 

重なった手の平、見えない

「どうか離さないで」

言葉はいらないかのように

優しく撫でた

「どこにも行かないで」

(盲目のピアニスト)

 

止めたいのは時間じゃなくて

染めたいのは触れる指先

(ラブソング)

 

123伝う涙がこぼれて

321温もりが消えた

触れて触れて

触れて消えた

枯らした

声を

(雨のあとに)

 

触れていたい

触れていたいよ

触れていたいと

触れていないと

崩れ落ちそうで

それでも離した

戦いの日々の

幕開けだ

(羨望の春を解く)

 

やっぱり触る表現が多い。

 

向いている方向が若干、違うのです

 

これ完全に私の感覚なんですけど、(ブログに書くことは全部そうでしょうよ)

ART-SCHOOLは「触って終わらせる」

CRAZY VODKA TONICは「触って終わらせない」

 

例えば、上にあげた「あと10秒で」

「世界が終わる」その時に選ぶことが「君に触ること」

君に触って、僕は物語を終わらせる。

「クロエ」はどれだけ君を望んでも、君の心は僕には向かない。だからせめて「身体だけ繋ごう」。そうして終わろう。

 

こんなART-SCHOOLに対してCRAZY VODKA TONICは物語の途中で触ってる。「春の羨望を解く」という曲では、「触れていないと崩れ落ちそう」と言って「手を離す」。触ることは終わりではない。

 

 

……と昨日ここまで考えてました。

そして今日、もう一つ気づきました。

「どっちのバンドも『目が見えない』表現がある曲がある」と。

 

 ART-SCHOOLは「ロリータ キルズ ミー」という曲で

『盲目の少女』という単語を出している。

方やCRAZY VODKA TONICは「盲目のピアニスト」という曲がある。

 

どちらも見えない。

世界は匂いと味と耳と触ることで構成されている。

そこに何があるのかを知るには「触る」ことが重要。

もしかしたらART-SCHOOLもCRAZY VODKA TONICも「見ること」「見ないこと」「見えないこと」に対して、何か特別な思い入れがあるのかもしれない。

そこまで考えてないし、と両方から言われそうである。

 

余談。

ここまでやるとですねー……やっぱり気になってしまったのですよ。

UVERworldの「触る」という表現が。

ぱっと思いつくのが初期の頃の「Revolve」とか「Lump Of Affection」とかにあったなあ、と。最近はあんまりなかったような……とこの辺りもちょっと考えたいです。

 

 

7月中ごろまでまとまった時間がとれなさそうで、やりたいことが後ろ倒し。